名医と最悪ドクター(2)~名医がつなぐ大物Jリーガー~

英語Teakoyaです。

 

さて、散々嫌な思いをして時間をかけてやっと医大の足、しかもスポーツ専門医にかかることができました。

このドクターのところへは、全国からプロスポーツ選手がやってくるということ。オリンピック選手もです。

何度か通いましたが、待合室で、明らかに”プロスポーツ選手”とわかるオーラをプンプン出している人がスーツケースを片手に、という光景にも出くわしました。

初めての診察、もう藁にもすがる思いの私たち。データを見て、ドクターが一言

「骨は生きてますよ。よかったですね」

私たち??????

そこから名医の名医たる診察が始まりました。これだけのドクターなのに、微塵も偉そうなところがないどころか、何もわからない私たちに、実に優しく丁寧に、口頭だけではわからないところは、本を出してきてくれてかなりの時間をかけて説明してくださいました。

オペをした病院では、◎ヶ月もしたら、またサッカーできますよ、ぐらいに言われていました。ところが、やたら頻繁にレントゲンを撮ってたんですよね。

リハビリの先生も、”やけにレントゲンとるよな”と言っていました。

その理由が、オペから半年ほどして、やっと私たちにはわかりました。ドクターの説明で。

足首から下が180度、もしかしたらそれ以上回った怪我です。ですから靭帯も切れまくっている、ということは、骨の中を血液が通っているのですが、それも一旦全て遮断されたわけです。ですので、オペをしても、早くにギブスを外すと、血流が戻らない、すなわち、足が壊死する

長くギブスをしすぎると、今度は、足の中で癒着が始まる、だから、ギブスを外すタイミングも本当に難しい

 

と言うことでした。その説明に、頭はパニック状態でした。

「もし、血流が戻らなかったら、、、」

と恐る恐る聞くと

「義足でしたよ」

 

そこまでの重症かつ難しい治療だったのか。。。

長男の場合、血流は戻り、骨は生きていたのですが、長くギブスをしすぎたために、内部で癒着が始まっており、ふくらはぎの筋肉は繊維化が起こっていました。つまり、筋肉がつかなくなります。

そして、内部の筋の癒着から足の親指が下に降りなくなっていました。つまり、全力疾走で走っても、自分で止まれなくなるのです。。。。

”それでもまだサッカー続けたいか?”

とドクター。ショックを受けているだろうに

”はい”

と返事する長男。

とにかくリハビリでできるとこまでやってみる、ということに。

”そんなにサッカーが好きか”

と言いながら、ドクター

”サッカーといえば、今日の午後、こんな人の予約も入ってるんやけどね”

とPCの画面を。思わず覗き込んだ私たちの目に飛び込んできた名前を見て、椅子から落ちそうになりました。

 

長男がサッカーを始めたのは幼稚園の頃。その頃はサッカーの本場静岡にいました。当時、日韓合同W杯が日本で開催され、サッカーの人気が一気に高まり、そこで大活躍した、やんちゃな風貌のその選手に憧れて、サッカーを始めたのでした。

おまけに、金髪にしたら、絶対に似てる!と周りのママたちからも言われ、本人は本当に憧れてサッカーをやり、そしてその時まで続けてきたのです。

そうです、あの時のW杯の金髪といえば

”稲本選手”

 

そりゃ、びっくりしますよ、奈良の田舎に稲本選手がふらりと現れたら!

 

思わず、”家帰ってまた出直してきます!”

幸いなことに家は近かったので、すぐに色紙を買いに走り、ドクターから教えてもらった時間に合わせて再度病院へ。

もうドキドキ、二人でドキドキ!

何言う、誰が言う?みたいな待合でソワソワ落ち着かない謎の親子になっていました。

 

そして、き、き、きた!

結構、フラ〜と一人で現れるんや、でも半端ないオーラ

ますますドキドキドキドキ。。。。

 

診察室に入って行った後、看護士さんに言って、中待合で待たせてもらう最中、緊張はピークに!

何やら、中では、看護士さんたちもたくさんきて、記念撮影の模様

 

そしてついに出てきました!思い切って、声をかけ、小さい頃から憧れてサッカーを続けてきたこと、怪我をしてドクターにかかっていることなど、上ずる声で伝えたと思います。

「そうか、サッカー好きなんだ。諦めずに、怪我を乗り越えて、頑張って」

と言ってもらいました。

 

そして、一緒に写真も撮ってもらい、私まで握手をしてもらい、中待合という、誰もいない空間で少しだけの夢のような時間を持てました。

ドクター、ありがとうございます!

長男「手、もう洗わない」

ほんまに

 

が、まだこの話には先があって、長女が、

「(同じクラスの子)のお父さん、医大でドクターって聞いたで」

とは前から聞いていたのですが、先生の名前を見て、?なんか聞いたことあるかも、

と思い、長女に確認すると、やはりその子のお父様だったのです

 

もちろんおこがましくて、ドクターにはそんなことは言っていませんが。

なんだか、かんだ、縁が繋がって繋がって、となったような感じでした。この大けがのせいで(リハビリの先生には、「はい、これ、レアーな怪我だから、みんな来て見て」と新人を呼ばれて、みんなに見られたわ」というほどのひどいものでしたから)

プロのプレーヤーになりたいという夢は諦めなければなりませんでした。が、この怪我から、辛い思い、痛い思い、悔しい思い、いろんな経験と体験をしたことは

必ず、彼のプラスになっている、と思いますし、プラスにしないと悔しいですよね。

 

最近、上海でも、最悪!という先生と名医!という先生に立て続けにあって、今から8年前のことを思い出しました。

 

名医たる先生は、皆同じ雰囲気があります。ドクターとしての腕はもちろんのこと、患者に、そしてその身内にまで寄り添う優しさを持っていらっしゃいますよね。

一番辛い時期だったので、その優しさにどれだけ救われ、希望を持てたかわかりません。

 

 

 

<上海Terakoya コミュニティ 第1回>

日時:2月26日午前中

場所:2号線沿いの地下鉄駅からアクセス良いところを考えています。詳しくは、メールにて、ご連絡させて頂きます。

*申し込み締め切り 2月24日

じゃ、参加してみようかな、という方は、こちらからお願いします。→🍀🍀🍀

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