与えるということ
英語Terakoyaです。
私はブログをカスタマイズなんてこと、
全然できません。
でも、少しでも出来ることを増やそうと
それ関連の記事を読んでいたら
今の時代は、大企業のように莫大な
お金を投資して広告しなくても、
ブログなどを通していくらでも自分の
情報を発信していける。
そして「与えたいもの」を
与えていけます。
という文に出会いました。
そうですよねえ~
与えたいもの、それは
多くはその人が得意とすること、
大好きだったりすることだと思いますが。
「与える」という言葉で
思い出したことがあります。
香港に住んでいた時に知り合った
日本人の友人。
彼女は2度目の香港駐在で
ローカルな香港をよく知っていました。
そして
中国古来より伝わる
「四柱推命」
を、地元新聞にコラムを書くような
日本語もできる香港人の大家に
弟子入りして学んでいました。
当時は、勉強中だから、
ということで無料で見てくれていました。
「おたくは、家族の人数が多いので
鑑定の練習になるのよねえ~」
と言いながら。
そして私はどうかというと・・・
「みて、びっくりした。
とにかく与えて与えて与え続ける人
なのよ。奉仕の人というか」
と言われ
奉仕=ボランティア活動とか
福祉関連の仕事、のイメージしかなかったので
「そういう方面はいしきしたこがないけど」
というと、
「子育ても立派に奉仕、立派な子どもを
育てることが社会への財産だし、
とにかく与え続ける人だわ~。
4人も育ててるし。
だから与え続けるから、ちゃんと
それを補うことを意識的にしないと
自分が疲れるのよ。」
と言われました。
そうか、それも奉仕か、与えることか、
と納得しました。
けれども
子供への生徒様へもそうですが、
与え続けるばかりなんて
偉そうに思ったことはありません。
十分いろいろな角度から
私も与えた以上のものを
受け取ってきました。
感動だったり、感謝だったり。
与え続ける一方だと、
楽しく続けることはできませんよね。
それ以上に、与えてもらっているから
生き生きと続けられるものだと
思います。
与えるから、受け取れる、とそういえばよく聞きますよね。