愛しい人達
英語Terakoyaです。
この10,11,12月と毎月日本へ帰りました。
そして母や義父母、叔父叔母、もちろん、我が子たちにも会いました。
つまり、3箇所ですね〜、いつものように(笑)
自分も歳を重ねているし、母や義父母、叔父叔母もとうぜん歳を重ねています。
ただありがたいことに、健康上の問題は出てきても、みんな
もしかしたら、私より、物覚えもいいのでは?(私が悪すぎるんですよね、すぐ忘れてます^^;)
と思うぐらいしっかりしています。
だけど、やはり、80歳前後、できるだけ、機会を作って会うようにしています。
変わらず、大きな愛で迎えてくれる存在がいてくれる、
本当にありがたいことです。
会えるその時その時を大事にしたいと思っています。
一方、子供達。。。
社会人となった二人。。。
考え方も、それぞれ。
親から見て、それは違うのでは?と思う部分もあります。
けど、話として伝えても、自分が 何らかの経験をして、それを踏まえて初めて腑に落ち納得することでしか
変わらないと思いますし、
親はただ見守るだけ。。。。
一方、ああ、こんなに人を見ているんだ、そしてこんなことを言うようになったんだ、と知らないうちに、すごく
成長している部分を感じて
とても胸がいっぱいなったり。。。
”大変なことも辛いこともたくさんあったけど、それでもこの子達を育ててきてよかった”、
と、親としての一番の幸せを感じる瞬間でもあります。
四人いれば性格も考え方も四人四様。
自分が”幸せ”と思う形が必ずしも子供達に当てはまるとは限りません。
ただ、誰もが平等にあたれられた時間を、どんな行動でどんな感情で過ごして行くのか、大事にしてほしいと思います。
なんて考えながら、
おそらく、父も母も、やはりこんな風に思いながら、見守ってくれていたんだろうなあ、と思うのです。
自分で色々な答えを探して苦しんでいた時〜いまなら、それに、答えなんてない、というのがわかるのですが、10代の私にはわかりませんでしたから〜、そんな私を黙って見守るのは本当に辛かっただろうなあ、と思います。
でも、あの時、黙って見守ってくれる両親がいたから、乗り越えられたのだと思います。
自分の子供たちが大人になるにつれて、あの時の両親への感謝が募ります。
親って、子供に本当に宇宙のように広い愛を持って接していてくれるものだと思います。
私はまだまだ、近視眼的になりがちですが、でも、そういう時には、主人に、私の心のフィルターをただしてもらって
ただただ見守ることに徹して行こうと思います。
彼らは、私の子供ですが、もう大人。いろんなことを日々瞬間瞬間の選択をしながら 自分の人生を歩いているのですから。
今回、長男と道を歩いていた時、年配の女性と中年の女性が歩いているのを見て
「あ、きっと子供だねえ」
という私に
「子供って言わんやろ?娘やろ」
と長男。
その言葉にハッとしたんですよね。
いつまでも子供たちを”子供”と見ている私に。。。
この1ヶ月、自分の親や、子供達に立て続けにあって、それぞれの変化を見ながら、心がとても動きました。
子供としての(娘としての)自分、親としての自分。
みんなが元気でいてくれることに感謝して、そう、自分は自分の人生をこれからは優先順位高くして、まだまだ好奇心持ってやって行かなくっちゃ、
と、新しい年を前に、思っています。ちょっと、感傷入っちゃいました